松居和先生の講演で、最後に強く問いかけられたのが、
「個性を伸ばす教育」という言葉そのものだった。
一見すると、子どもを尊重しているように聞こえるこの言葉。
しかし先生は、そこに大きな落とし穴があると語る。
個性は“育てるもの”ではなく、“立ち上がるもの”
松居先生は言う。
個性とは、早く見つけて伸ばすものではない。
安心できる大人との関係の中で、
「人として大事にされている」という感覚を土台にして、
あとから自然に立ち上がってくるものだ、と。
にもかかわらず現代の教育は、
「その子らしさ」「才能」「強み」を
あまりにも早く、外から定義しようとする。
“比べられない個性”が、なぜこんなに苦しいのか
個性教育が進むほど、
子どもたちは逆に比べられ、評価され、孤立していく。
「あなたはあなたのままでいい」
そう言われながら、
結果や特性だけは常に数値化されていく。
松居先生は、
これは自由ではなく、放置と自己責任の教育だと指摘する。
人間性が育っていないまま、個性だけを求める危うさ
本来、個性の前に育てられるべきなのは
「人とつながる力」「信頼する力」「頼っていいという感覚」だ。
それが育たないまま、
「自分らしく」「自分で考えて」と突き放される子どもたちは、
誰にも助けを求められなくなる。
いじめや孤立、自己否定の背景には、
この順番の取り違えがあると、先生は語る。
母親が背負わされてきた「教育の責任」
そしてこの「個性教育」の重圧は、
多くの場合、母親にのしかかる。
「あなたの関わり方が悪いのでは」
「もっと子どもの個性を伸ばしてあげて」
そんな無言の圧力が、
母親を孤立させ、追い詰めてきた。
松居先生ははっきりと言う。
これは母親の問題ではない。
社会全体が、人を育てる視点を失ってきた結果だと。
次の記事へ―「では、何を取り戻せばいいのか」
個性より先に、必要なものがある。
それは、制度でも理論でもない。
人と人との「関係」そのものだ。
次の記事では、
松居先生が語る「人間性を育て直すための鍵」について、
具体的に書いていきます。
Amazonでベストセラー!私が考えさせられた一冊
ママがいい! 母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ(著者:松居 和)

