「子育てとは、子どもを育てる行為ではない」という言葉でした。
私たちはつい、
・どう育てるか
・どう教えるか
・どう失敗させないか
そんなことばかりを考えてしまいます。
けれど松居先生は、こう語ります。
子育てというのは、
子どもを育てる以上に、
大人が「人間らしくなる」ためにあった。
0歳児は、なぜ言葉を持たないのか
赤ちゃんは、生まれてすぐには言葉を話しません。
それは「未完成」だからではなく、
言葉の通じない世界で、人と関わる力を大人に要求する存在だからだと、松居先生は言います。
泣く理由がわからない。
何をしてほしいのかも、はっきりしない。
それでも大人は、抱き上げ、揺らし、声をかけ、考え続ける。
この「わからなさ」に向き合う時間こそが、
人間に 忍耐・共感・想像力 を育ててきたのだと。
初めての笑顔が、人を一つにする
生後2〜3ヶ月。
赤ちゃんが、ほんの一瞬、意味もなく笑う。
その笑顔を、
母親だけでなく、父親、祖父母、きょうだい、時には近所の大人たちが、
ただ黙って見つめる。
何も起きていないのに、
その場にいる大人たちの心が、静かに一つになる。
松居先生は言います。
人間は、心を共通する瞬間が好きなんです。
幼児は、それを自然に生み出してしまう存在なんです。
幼児は「絶対的弱者」だからこそ
幼児は、何もできません。
自分では生きていけない、絶対的な弱者です。
だからこそ、大人は自然と優しくなる。
我慢を覚え、待つことを知り、怒りを抑えようとする。
もし社会から幼児との関わりが消えたら、
人間は「自分を律する力」を失っていく。
犯罪や暴力を法律だけで止められない理由は、
ここにあるのかもしれません。
子育ては「失われた人間性」を取り戻す営み
子育ては、きれいごとではありません。
イライラもするし、後悔もするし、自己嫌悪にもなります。
それでも——
子どもと関わることでしか、取り戻せない感覚がある。
「自分は、まだ人を大切にできる」
そう思える瞬間を、幼児は何度も大人にくれます。
子育ては、社会のためでも、制度のためでもない。
人間が、人間であり続けるための営みなのだと、
松居先生の言葉は、静かに教えてくれました。

