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第6章:「人」に預けていた時代から、「仕組み」に預ける時代へ

松居和先生が、強い危機感をもって語っていたのが、
現在の保育・教育が「人」ではなく「仕組み」に委ねられてしまったことでした。かつて日本の保育は、8時間保育が基本でした。
朝、子どもを預けた保育士と、夕方迎えに行ったときに顔を合わせる保育士は、同じ人。親は「このに預けている」という感覚を持っていました。
それは、保育が単なるサービスではなく、人と人との信頼関係の上に成り立っていた証です。

11時間保育が生んだ、決定的な変化

しかし、制度の「規制緩和」によって、
11時間保育が“標準”として名付けられました。

8時間勤務の保育士に、11時間の保育体制を押し付ける。
足りない部分は、パートや短時間勤務でつなぐ。

その結果、
今日、自分の子どもが「誰と過ごしているのか」
親自身が分からなくなる
という状況が生まれました。

朝預ける人と、夕方迎えに行く人は、必ず別人。
そこに継続した関係性は育ちません。

「この人に預ける」から「この仕組みに預ける」へ

松居先生は、この変化をこう表現します。

親たちは、
「この人に預ける」のではなく、
「この仕組みに預ける」ようになった。

それは同時に、
親自身の責任感が、少しずつ薄れていく過程でもありました。

問題なのは、誰かが悪いという話ではありません。
制度そのものが、
「人間関係を育てない設計」になってしまったことです。

資格なしでもいい、という危うさ

この流れの中で、保育の現場は疲弊しました。
その結果、「資格がなくても保育していい」という方向へ進んでいきます。

学校教育も同じです。
「教員免許がなくても先生になれる」というキャンペーンが始まりました。

松居先生は、はっきりと言います。


それで、良くなるはずがない。

70歳を超えた元校長先生が、現場に立つこと自体は尊い。
しかし、それが10年、20年続くわけではありません。

問題を「その場しのぎ」で埋め続けた結果、
保育も教育も、根っこが揺らいでいるのです。

保育は、人間的な営みだった

保育は、本来とても人間的なものです。

明るくて元気で、何でもできる保育士ばかりだったら、
子どもは疲れてしまう。

5人に1人くらい、静かで控えめな保育士がいていい。
相性もあれば、合わない日もある。

それを含めて、人と人が関わる「場」だったはずなのに、
今は効率と管理が優先されてしまっている。

この制度のままでは、
子どもも、親も、保育者も、
すり減っていくしかありません。

次の記事では、こうした制度の中で繰り返し語られる
「個性を大切に」という言葉に、
松居先生が投げかけた、根源的な問いを掘り下げていきたいと思います。

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