こちらの記事「第2部」では、松井先生が語っていた
「昔の日本の子育て」と「父親の役割」について紹介します。
正直に言うと、
最初は少し意外に感じる話もありました。
でも聞いていくうちに、
「ああ、だから今こんなに子育てが苦しく感じるんだ」
そう腑に落ちていきました。
子育ては、もともと「みんなの仕事」だった
松井先生は、160年以上前に日本を訪れた欧米人の記録を紹介していました。
当時の日本について、彼らはこんなふうに書き残しています。
「日本では、男たちが幼児を抱いて集まり、
自分の子どもの話を誇らしげにしている」
今の感覚だと、少し驚きませんか👀
子育ては母親の役目、
父親は仕事、
そんな分業が当たり前になったのは、
実はごく最近のことなのだそうです。
昔の日本では、
父親も、祖父母も、近所の大人たちも、
自然に子育てに関わっていました。
誰か一人が完璧にやる必要はなかった。
だからこそ、続いていた。
父親が幼児のそばにいる意味
松井先生の話で特に印象に残ったのが、
「父親は、本来、幼児の隣にいる存在だった」という言葉です。
6歳くらいまでの子どもにとって、
父親は「厳しい存在」ではなく、
一緒にいるだけで安心できる大人だった。
ところが現代では、
父親は仕事、
母親が育児、
という形が当たり前になり、
父親が子どもと過ごす時間は、
どんどん短くなっています。
その結果、
母親は一人で抱え込み、
父親は「どう関わればいいかわからない」存在になってしまった。
これは誰かが悪いわけではなく、
社会の仕組みそのものが変わってしまった結果なのだと感じました。
「親が育てる」の前に、「親も育ってきた」
松井先生は、こんなことも言っていました。
「日本の親たちは、全員が一度、幼児だった」
当たり前のようで、
でも忘れがちな事実です。
私たちは、誰かに抱っこされ、
誰かに世話をされて、
一人では生きられなかった時代を確かに通ってきました。
子育てをしていると、
「ちゃんとしなきゃ」
「間違えちゃいけない」
そんな気持ちに追い込まれがちです。
でも本当は、
子どもを育てながら、
自分自身も「育てられている」最中なのかもしれません。
子育てが社会をつないでいく
昔の日本では、
子どもがいるだけで、
家族や地域の空気が変わっていたそうです。
赤ちゃんの存在が、
大人たちの心をゆるめ、
人と人を自然につなげていた。
子育ては、
子どもを育てるだけでなく、
社会に「やさしさ」や「忍耐」を取り戻す役割も持っていた。
そう考えると、
今の子育てのしんどさは、
個人の問題ではなく、
社会全体の問題なのだと見えてきます。
次回の第3部では、
松井先生の話を通して見えてきた
「これからの子育てで大切にしたいこと」を、
私自身の言葉でまとめていきます。

