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Diary|幸せを感じるとき

幸せとは

今回は特にまとまりのない、つぶやきの記事。

今振り返ると、特に2019年からの3年間は、出産して、一人での子育てが始まって、仕事も復帰してと、とにかく目の前のことに必死で過ごしている自分がいた。パートナーのいるNZへいつ行けるのかもわからない状況で、ロックダウンが続いては凹み、先が見えない状況で悩むことが多かった。

そんな中でも、ぼっちゃんの寝顔を隣で見るたびに「あ、私幸せだな。こんなに可愛い子の母親になれて」と思えた。

毎晩マントラのように、寝る前にぼっちゃんに伝えている言葉がある。
「産まれてきてくれて、ありがとう。マミーを選んできてくれて、ありがとう。今日も一日楽しかったね、グンナイ〜💤」だ。笑

感謝の言葉で1日を終わらせるようにしている。
そうすると、なんだか良い気持ちになれる。心の中にピース(落ち着き、静けさ)を見つけられる、というのかな。うまく文字に起こせないが、とりあえず毎日これは続けている🌿

これは、私の1日の最後に感じる小さな幸せだ。
この小さな幸せや感謝を積もらせていくことで、幸せ度が上がっていく〜とか本で読んだことがあったな。意識の問題だろうから、本当にそうかもしれない。

日本で6年勤めた会社を退職して、NZに来て、スマホも新調して心機一転💪
なんだかんだ仕事はずっと続けてきたので、無職になるのが変な感じだ。
もちろんNZで仕事復帰するつもりでいるものの、仕事のことは一旦忘れて、心身ともに休憩させ、新天地での基盤を作っていこうと思う。

やっとパートナーとぼっちゃんの3人で揃っての暮らし。
年月はかかったけど、NZにこうやって来ることができた。

ぼっちゃんをダディーに合わせることができた。
パートナーをダディにさせることができた。
私はもう画面越しの相手ではなく、NZに実在するパートナーとして彼の目の前にいることができた。

NZに来て以来、毎日ぼっちゃんと徒歩圏内にあるビーチか、公園へお散歩に来ている。
ぼっちゃんが公園で遊んでいる間、私は公園にある椅子に腰掛けて、眩しく光る夏の太陽に、カラッとした風を浴び、視界にはなんとも美しいコントラストの緑と海の景色を見ながら、ふと、思うの

「あ、わたし今、すごく幸せだ」と。

これが幸せってやつかな、と。

一般的に幸せを定義するなら、こんな感じだろうか?
・お金持ちであること(財産)
・欲しいものを全て持っている(物欲)
・好きな人と一緒にいる(愛情)
・健康である(心身の健康)
・自由である・・・などなど

今のわたしは、お金持ちなわけでもなく、
物は日本から送った最低限の衣類に、貴重品、PC関連だけで、まだまだ足りない物は多い。それに、日本での生活では考えられなかったが、掃除機さえない生活をしている笑

(ホウキとモップ暮らしです🙌それに昨日洗濯機が壊れたので、手洗いで洗濯してます😂)

でも、好きな場所・国で好きな人・家族と健康的に暮らせているだけで結構ハッピーなのだ。洗濯機?掃除機?フライパンなんて一つしかないよ!笑(さすがに、キッチン用品は買い足す予定だが)でも幸せです🌿

これはニュージーランドに来たから気付けた幸せか、と聞かれると..
そうではない。

「タイミング」と「自分の心の状態」でしょうね。

・日本で長年働かせてくれていた前職の会社(大変な時期もあった)での経験があったから
今、こうやって子供とゆっくりした時間を過ごせることに有り難みを感じられている。

・コロナの影響でパートナーに会えず、3年間、子育てに〜仕事に、とワンオペでこなしてきた自分が少し解放された気分で、一人でなんでもしなきゃ!という肩の荷が下りた感じ。

そう。一人で忙しくしすぎていて、小さな幸せに目を向けられていなかっただけなのだ。
🌱今日も朝、目覚められてよかった
🌱今日も美味しいご飯が食べれて幸せ
🌱今日も子供が元気でいてくれて幸せ
🌱寝れる場所があって幸せ・・・

あげれば多くの幸せがいっぱい。
毎日の衣食住なんで当たり前と思うのではなく、
その当たり前が、当たり前でない人も世の中には、たくさんいることを知るということ。

そして、そこに感謝をすること。
些細なことで良い
目の前にある小さな幸せに多く気づけることで、心は豊かになっていくんだろうな。☺️

そんなことを思う1日でした。🌱